医学者は公害事件で何をしてきたのか 津田敏秀

こんにちは!とうためです
今日は、この本について書きます。 
以下、本記事で出てくる引用はすべて本書からです。僕は本書の内容に全面的に賛成しているわけではありませんが、記事は引用元の論旨に沿って書いていきます。
また、本書では複数の実在する人物の名前を挙げ、その発言に言及していますが、僕自身は挙げられている一次文献のすべてに当たったわけではありません。
著作権上の理由から、引用文を書き換えることは行いませんが、特定の個人を批判する意図等はありません。

 本書の主張のまとめ

 科学者グループにより、学会や科学論文を掲載する学術雑誌を通じて最新の情報を交換した結果が、社会に反映されているはずだというのは、少なくとも日本の医学に関しては幻想に過ぎない。
 
このような書き出しで、本書は始まります。
本書が主題とするのは「水俣病」です。
著者の津田敏秀氏は、岡山大学大学院環境学研究科教授で、疫学および食品保健の専門家ですが、食中毒事件としての水俣病を、研究分野のひとつとされている方です。
 
さて、僕は水俣病という言葉を小学生の社会科で習いました。10年以上前のことです。
当時教科書に書いてあったのは、
  • 水俣病熊本県水俣湾というところで起こった病気であること
  • その原因は工場が海に流したメチル水銀であったということ
  • 原因は判明したが、今も苦しんでいる患者が少なくないということ
この3点です。当時僕は中学受験を控えており、4大公害病のひとつとしてこれらの事実を丸暗記していました。
これに本書の内容を踏まえていくつかの事実を付け加えます。
  • 患者が増加した原因は、厚生省および熊本県がこの事件を、食中毒事件として処理せず、食品衛生法を適用しなかったからであること
  • 厚生省と県は食中毒患者数、原因である魚介類の喫食者数を調査せず、現在に至るまで正確な被害状況がわかっていないということ
  • 実態調査をしないことはそもそも法律違反であったこと
  • このミスを隠すために論点を原因食品→病因物質へとすり替えたこと(後述)
  • 当時国によって集められた医学者たちがこのすり替えに加担したこと
  • 環境省は彼らを神経内科および”水俣病の専門家”と呼んだが、誰一人として専門医資格を所持していなかったこと
  • 本来曝露と症状の間の因果関係が問題となるはずの食中毒事件であったが、どのように患者を「認定するのか」という別の問題にすりかえられたこと
  • 後になって”専門家”はメディアに対して誤りを認めたにも関わらず、その後の国家賠償訴訟においても国は専門家の誤った考えを政策の根拠として使い続けたこと
  • 環境省に集められた”専門家”たちは、国から多額の研究予算とポストを与えられ、中身のある学術論文をほとんど書いていないにも関わらず、国立大学の教授等に昇進していったこと
 
全てについて書くとキリがなくなるので、
  1. 水俣病に関して
  2. 専門性のない医学者を生み出してしまう、医学部の権力構造
の2点に絞ってまとめます。
 

水俣病に関して

食中毒事件として処理されなかった不思議
 さて我が国では、しばしば一言で「原因」として表現されているようだが、一つの食中毒事件も、疫学や食品衛生の分野では、三つの分類法で別々に分類され、日常的に報告書に記載されて、食中毒統計においてもそれぞれ別々に集計されている。
 
その3分類とは、「原因食品」「病因物質」「原因施設」です。
「原因食品」は「魚介類」や「肉類」といった発症者たちが食べた食品を指します。「病因物質」は「サルモネラ菌」や「ブドウ球菌」といった、原因物質を汚染させた原因のこと。「原因施設」は「学校」や「病院」といった場所のこと。
通常食中毒事件は、「病因物質」が分かっていなくとも、「原因食品」が判明した時点で対応可能です。
本書では一例として、浜名湖アサリ貝毒事件が挙げられています。浜名湖のアサリを食べた住民が食中毒を起こしたが、アサリの採取を禁止することで終息したという事件です。
この事件でも「病因物質」は不明であったが、行政の動きで被害拡大は防がれています。(秋葉朝一郎「アサリとカキの中毒とその毒性物質の研究」『日新醫學』第36号、南江堂、1949年3月、 pp. 231-244)
今回の新型コロナウイルス感染症でも、その病原性や肺炎の重篤度が判明する前から、各国は渡航制限、水際対策等の対応を取り始めていたのは、記憶に新しいですね。
 
しかし水俣病ではかなり初期の段階から「原因食品」が判明していたにも関わらず、このような対応がとられませんでした。そして驚くべきことに、未だに有症状者数が把握されていないのです。
 
 
認定問題
一九九五年から一九九六年にかけての「政治解決」の際に、「ニュースステーション」の久米宏さんが、「何で被害者が認定をしてくださいとお願いして申請をしなければならないのか不思議だ」とおっしゃっていたが、これは鋭い意見だと思う。
 
政治解決とは簡単に言うと、「未認定患者にも少額の補償を払いますが、代わりにもう国と県を訴えないでください」というものです。
そもそも食中毒事件では、食品衛生法に則り、行政の側が実態調査をし、曝露された住民にアプローチするのが通常です。
この実態調査を怠ったにもかかわらず、住民の側から認定を申請させるというのは極めて不誠実な印象を受けます。
その上、現在までの申請患者17000人以上のうち、実際に認定されたのは2265人(2020年4月17日現在)
非認定の理由は「感覚障害が四肢に限るものは総合的に考えてメチル水銀中毒とは考えにくい」という医学的根拠のないものでした。
 
水俣病が大問題化した背景には、国と熊本県の食品衛生に関する知識が不足していたこと。結果として初期対応をし損なってしまったこと。
そしてそのミスの責任逃れをするために同じく疫学的な知識のない学者を集めて、エビデンスに乏しい政策決定をしてしまったこと。
とまとめられるように思います。
 
組織の中で、個々人は自分の出世と保身を考えます。これは責められることではないと思います。それら多様な保身のニーズが、組織を代表する意見として表明される過程で、あらゆる構成員の身を守るために往々にしてとらる結論が「結論の先延ばし」という結論です。勿論、これは結論ではありませんが、水俣病ではこの「先延ばし」が何度も行われたように見える。
 
本書でも参照されている本に
があります。
これは第二次世界大戦において、当時の日本軍上層部が、無謀ともいえる作戦をどうして決行してしまったのか、集団としての意思決定を論じた書籍です。
僕はこの本を一年以上前に読みましたが、当時の正直な感想は「この時代に生まれなくて本当に良かった」に尽きました。僕のような戦争の素人が見ても、明らかに不可能と思える作戦が、当時日本で最も賢かった人たちによって、堂々と実行されていたからです。
しかし今回「医学者は公害事件で何をしてきたのか」を読んで、体質は半世紀前から変わっていないのではないか。もっというと、国家という権力の枠組みと、それを構成する最小単位の個々人の希望を擦り合わせると、必ず合理的な意思決定ができなくなってしまう、構造的な問題なのではないか、という印象を受けました。本書でも述べられていますが、国とも学者とも利益相反のない第三者による監視機構は必須であるように思います。そして、これは2020年現在でも存在しないようです。
 
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次回は、医学者たちはなぜそのような非科学的かつ非論理的な決定をしてしまったのか、医学部の権力構造をもとに考えていきたいと思います。
 
以上です!
ではまた